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シネマクティフは「映画館で映画を鑑賞するたのしさを伝える」ユニットです

リリーのすべて
(鑑賞後の方向け)

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時代設定は1920年代。
当時はなかったであろう
「トランスジェンダー」という考え方。

アイナー(男性)の中に
リリー(女性)が存在するという状況に、
監督ならではの
様々な手法が光っていました。

まずは
アレクサンドル・デスプラの音楽。

アイナーが自分の中の女性を意識した、
モデルになるシーンでは、
彼の心の揺れを表現する
細かい音の連続。

初めてリリーが
嬉しそうな表情を見せる
女装シーンの華やかなスコアなど、

映画と音楽は切り離せないものだ
と改めて感じました。

そして色の表現。
リリーの花、
モデルになるためのドレスや
靴の白は
女性を表すものではないでしょうか。

白いレースのカーテン越しに
触れ合うふたりの手の表現も切ないです。

手術をするときの
真っ白な部屋がその極致でしょう。

繊細な手の動きなどで
女性らしさを増すリリー、
彼を受け止めたゲルダの
ラストの表情など、

素晴らしい演技を見せてくれた
主演ふたりに拍手を送りたいです。

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本作を観て
すぐ思い出したのは
『わたしはロランス』(2013)。

こちらも
トランスジェンダーもので、
時代は違いますが、
長年連れ添ったカップルの男が
女性になりたいと突然告白する話で、
ケースも似ています。

否応なしに
比較して観てしまったのですが、
この2作品の大きな違いは

焦点が
カップルに当てられているか、
トランスジェンダーである
カップルの片方に当てられているか
の違いです。

本作は後者で、
自身の中に潜んでいた
女性をほのかに自覚しはじめ、

そして困惑していく
心理変化がとても丁寧に描かれ、
そこが良かったところだ
と思いました。

しかし丁寧が故、
はっきりするのは
トランスジェンダーではない
私(マコチン)と主人公の違いであり、
感情移入のし難さにも
繋がっていたように感じました。

普遍的なラブストーリーとして
観ることができた
『わたしはロランス』よりも

物足りなさを感じてしまったのには、
そういう理由がありそうです。

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いかがでしたか?

本作における
「絵」の存在は
実に「饒舌」です。

アイナーが描く「風景画」は、
彼の故郷であるヴァイレの
「荒涼」とした景色。

その色は「寒々」しく、
幼少時に初めて意識した
「リリー」の存在を
自ら押し込め続けた事による
悲痛な「叫び」であり、

言い換えればそれは
アイナーの「心象風景」
そのもの。

だからこそ、
その「絵」をみた人の
心は「震え」、
多くの共感を得たのです。

対して、
ゲルダが描く肖像画。

技術的には問題がなくても
内包するものが何もないそれは、
商業的成功を収める事はありません。

それが「リリー」をモデルにし、
彼女と「共犯」関係になった時点で、
絵は彼女の存在を「内包」し、
一転して商業的成功を収めます。

アイナーの中で
「叫び」続けたリリーが
ゲルダの絵に移ったことで、

アイナーの「絵」は
「暖かな」色になりますが、

それは風景画家としての
「終わり」を意味すると同時に、

アイナー自身の
「終わり」も意味するのです。

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