本作の登場人物は、
お互いを知らなすぎるのに
歩み寄り方が
ものすごく下手なひとたち。
自分の固定概念の枠組みに
それぞれを置いて見てしまうから
人間関係が崩壊しています。
だから会話が噛み合いません。
でも原作にはない演出として
台所でエアロビを踊るシーンがあります。
このときはじめて
登場人物が揃って心から笑い、
良い顔をしているんですよね。
観ている観客も音楽が相まって
思わず笑みがこぼれてしまう
多幸感溢れるシーンに
仕上がっています。
これはドランの前作
『Mommy/マミー』における
セリーヌディオンの楽曲で
3人が踊るシーンと
全く同じ手法です。
そして、
母からルイへの
「誰もこの愛は奪えない」
という原作にはない台詞。
『わたしはロランス』の
「この愛は誰にも壊せない、君以外は」
という台詞を思い起こさせます。
アートな表現を封印した新境地。
しかしドランがずっと扱ってきた
母と子というテーマは
家族を描くなかで確かに存在しています。
いかがでしたか。
19才という若さで
監督デビューした後、
生き急ぐかのように
作品を量産してきた
グザヴィエ・ドラン。
その精力的な
創作活動からも伺えるように
彼のトレードマークは
類い稀なる表現欲(!)、
「俺の話を聞いてくれ」
と言わんばかりの
自意識の過剰さでした。
しかし6作目にして
変化が訪れたのかもしれません。
これまでの
一人称(あるいは二人称)的な
描き方から一転、
本作では
自己を投影したであろう主人公よりも
“意識的に”周りの人間に
フォーカスが当てられている
ような気がします。
それがよく表れているのは
過去作には見られなかった
主人公が寡黙という
キャラクター設定があります。
グザヴィエ・ドランは
自身の言葉を
極力排することによって
本作で客観的に
自分を考えようと
試みたのではないでしょうか。
ラストも
これまでの作品では
希望を提示してきたものが
多かったのですが、
バッド・エンド
とも言える本作。
やはり変化が感じられます。
いかがでしたか?
前作『Mommy/マミー』
でもあった、
「あえて」観客に
ストレスを与えてくる演出は、
本作では
より激しくなっていました。
明らかに
「不自然」に。
この「不自然」が
何を意味しているのか?
を観終わってから
ずっと考えていた末に
私(ペップ)が導き出した
「意味」。
それはこの物語が
「現実に起こったこと
ではないのでは?」
というものでした。
冒頭の飛行機のシーン。
(この飛行機も実動感が全くないのですが)
主人公ルイは同乗している
「子供に目隠しをされる」ところから
物語は始まるのです。
これは
「天使に導かれて
天国に召されていく」
シーンと取る事も
出来るのではないかと。
そこから先は
ルイが死ぬ前に実現できなかった
彼の「願望であり幻想」
ではないのかと。
常軌を逸して
イラつく母兄妹、
ルイが打ち明けられない気持ちを
見透かしたかのように話掛ける兄嫁、
勝手に動いているかのような
兄との車のシーン。
全てが腑に落ちるのですが
如何でしょうか?