ayumi_review

ダニエルの周囲には
様々な人がいますが、
彼らを見つめる
ダニエルの視線が
印象的でした。

役所の人、隣人、ケイティなど
それぞれを見る(見守る)ときの
彼の目がすべて異なっています。

他人に対して受ける印象は、
他者との関わり方によって
生まれるものだと思いますが、

この映画では
それが視線によって
上手く描かれていました。

原題は“I,Daniel Blake”ですが、
“My name is…”ではなく“I”であるのは、
一個人の在り方を強調している
監督の意図でしょう。

また、ケイティが
缶詰を思わず食べてしまうシーン。

貧困や弱者を描いた映画は多々あれど、
ここまで逼迫した描写は
ほかの映画にはなかったように思います。

これはケン・ローチ監督が
実際に目にした光景を映像化したそうで、
胸が苦しくなりました。

先に飛んできた職員ではなく、
後から来たダニエルに
感情を吐露するというのも
二人の信頼関係が
表されているようでした。

makochin_review

いかがでしたか。

80歳の名匠ケン・ローチが
引退を撤回して製作した本作。

その謂れの通り、
“いま自分が語らなければならない”
という切実さを
強く感じさせる作品でした。

なぜ映画を観るのか?と問われれば、
その理由は様々でしょうが、
本作のパンフレットに載っている
秦早穂子さんの言葉に

「私たちは、映画によって、
知ったり、考えたり、力づけられる。」

というものがあります。

映画鑑賞は現実逃避
と揶揄されることがありますが、

映画を観ることで、
自分ではない誰かの人生を
生きているのにも関わらず(!)、

知ったり、考えたり、力づけられるのなら、
現実から切り離されたもの
と考えるのは早計です。

ケン・ローチ監督も映画が現実と
切り離されたものでないからこそ、
製作を続けてきたのでしょう。

本作は
そんな娯楽としてではない、
もう一つの映画の役割について
考えさせられました。

最高賞で応えた
カンヌ国際映画祭も
またその役割の一端を担っています。

pep_review

いかがでしたか?

映画なんて無力だ!
と仰る方がいるかもしれません。
はたしてそうでしょうか?

少なくとも私(ペップ)は、
映画から色々なもの
(叱咤や激励や知識や機会)を
これまでも沢山受け取ってきました。

映画がお好きで
これを読んでくださっている貴方も
同意してくださるのではないでしょうか。

そこで本作。

英国内で起こっている
「貧困」をテーマにしながら、
実は「映画的演出」も随所に挿みながら、
「真面目」に「真摯」に作られた作品。

私は
「主観」と「客観」の話
だと感じました。

目の前に
その日の生活にも
困っている人がいる。

その人に
「救いの手を差し伸べるのが仕事」
なのに、
「公平性」を理由に
それを「放棄」する。

それははたして
「客観」でしょうか?

私には
「客観という観念に囚われた主観」
に見えました。

この世に
「本当の意味の客観」など
存在しないというのが私の考え。

であれば、
その「主観」は
「人に寄り添うものでありたい」
と思うのです。

投稿者 cinemactif

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