『アメリカン・スナイパー』いかがでしたか?
観客に容赦なく突きつけられる描写の連続に、
鑑賞後の気持ちが晴れない方も
多いのではないでしょうか。
そして極めつけはエンドロールの「無音」。
あれには「賛否両論」あるようです。
私が観た回では
エンドロールが無音と分かった時点で、
他の作品以上に席を立つ方が多かったですし、
「音が鳴らへんのやったら、
電気点けたらええのになぁ」
なんて話をしながら
帰路に着く方もいらっしゃいました。
私は、あの無音で
様々な思いを巡らせたのはもちろん、
あのエンディングに相応しい音楽など
ある筈がない、と思いましたので
「賛」の意見です。
が、他の方の反応が体験出来るのも、
良い意味で劇場鑑賞ならでは
だと思っています。
戦争が正しいなんてことはある筈がない。
でも自分の家族が、同胞が、
国民が、やられたら?
復讐を胸に行動を起こすのは罪なのか?
復讐の思いを抱く事すら罪なのか?
戦争がなくならないのはこれか!
この作品のすばらしい点は、
戦争に行く人だけではなく、
妻のタヤ、つまり「待つ人」の描写が
しっかりとしていたこと。
スナイパーという特殊な人物であるがゆえに、
観客は主人公には感情移入しづらく、
彼を第三者の視点で観てしまいがちです。
しかし「待つ」妻は劇中で
クリス・カイルを観ているわたしたちと
同じように彼の身を案じています。
前作『ジャージー・ボーイズ』の
フランキーの妻然り、
監督は待つ女性を描くのが非常に上手く、
主人公を引き立たせる
重要な役割を果たしています。
明るい色調の子供の部屋で夫に嘆く姿や、
銃声を聞きながら電話するシーンは、
大音量の戦車や銃撃シーンとの
対比が明確でした。
シエナ・ミラーの
嘆かわしい表情がとても印象的。
もし二度目に鑑賞することがあれば、
ぜひ「人」に注目していただきたいです。
きっと無音のエンドロールにて
戦争だけでなく、
そこに関わる人の在り方も
考えさせられるはずです。
圧倒的な戦闘描写に
堪えた人も少なくないでしょう。
主観ショットの映像や広い大地に響く銃声が
厭に生々しかったように思います。
他人事にはできないリアルさに
巨匠クリント・イーストウッドの
こだわりが垣間見えます。
しかし一方で赤ちゃんが人形だったり
タヤのネイルが変化しなかったことに
お気づきでしたでしょうか?
ぼくはまったく気が付きませんでした。
前作『ジャージー・ボーイズ』から僅かな間で
この新作が公開されたことを考えると
想像以上の短期間で
撮影が行われたのでしょう。
病気で撮影日に来ることができなくなった
赤ちゃんを待たなかったのです。
(代わりは用意できなかったのか!?)
別の時間のシーンを撮るのにも
服を着替えるだけで済まされた
ことが考えられます。
詰めが甘いとも言えますが、
そこにイーストウッドらしさを感じることが
できるかもしれません。
要は描きたいものがあって、
そこに一直線なのだと思います。